経験した人間関係
みなさん こんにちは
ほうみど桔梗です。
みなさんは障がい者といわれる身体が不自由な人との接点があった方いらっしゃるでしょうか?
私は近所にその方がいますし、働いていた時に耳の不自由な方と一緒に仕事をしたことがあります。そこで私がどういう視点でその人たちと接しているかをみなさんにシェアしようと思います。
みなさんご存知のヘレン・ケラーは「苦難を乗り越えた天才少女」として、目と耳と言葉がしゃべれないという三重苦を背負って生き、点字や発声を学び大学も卒業し、障がいのある人でも教育を受けられる制度を作った人でもあります。
実際、私は一緒に耳の不自由な人=仮にAさんと仕事をしたことがあり、そのAさんとの関わり方で悩んだ事がありました。仕事をしている時のリズムやテンポが違っていて戸惑う事があったからです。
その悩んでいた時に並木良和さんのセミナーに参加して障がいのある人との接し方でヘレン・ケラーを例にあげて言われていたことがあります。
ヘレン・ケラーがスピーチで言われていたのが「障がいは不便ではあったけれども、不憫ではなかった」ヘレン・ケラーは障がいの三重苦を生活の中では不便なことはたくさんあったけれども、障がいがあるから自分は不幸だと思ったことは一度もない。不幸であるか、幸福であるかは障がいとは関係なく、その人の考え方や生き方によるというのです。
障がいがあるからといって不憫そうに見ない。。100%力のある完全な意識として相手を見る。この並木良和さんのセミナーで言われた所で腑に落ちた所です。
神様も霊格の優劣に関係なく見ると聞いたことがあります。何事においても対等としてみる。みんな誰しも魂の本質である内なる神を持ち合わせているのだからそこに優劣はありませんよね?
Aさんの話になりますが、最初は周りの人もAさんに対してひどい接し方をしていたのですが、私がセミナーで学んだ①不憫そうにみない②何事においても対等ということを実践すると周りの人たちにも広がってAさんは仕事がやりやすい環境になっていたと思います。そしてAさんに私が意見したり、私がAさんに意見したりと対等な関係も築けた気がします。ちょっとした意識の使い方ですごい大きな学びを得た感じでした。
近所の障がいのある子供もうちの子供達としょっちゅう遊んでいます。そうするとうちの子供以外の他の近所の子供達も寄ってきて一緒に遊んだりしています。そんな姿を見ていると分け隔てのない未来の人間関係を子供たちが実践して見せてくれているようにも見えます。
①不憫そうにみない
②何事においても対等
障がいに限らず①と②を意識しながら人と接する。そうすると同じ場所なのに環境が変わるくらい様変わりします。今までのいざこざが意識の使い方次第で変わると信じてみなさんもやってみてください。この意識の使い方は経験上イチオシです。
意外と意識の切り替えなんでとくに労力は不要です。
ちょっとした意識の使い方で状況が変わるので宇宙ってすごいなと感心してしまいます。